鵜戸神宮本殿
【神社】
こちらのページは、前ページ「鵜戸神宮・鵜戸稲荷神社」の続きという位置づけです。
前ページでは八丁坂参道から鵜戸神宮楼門付近、鵜戸稲荷神社、鵜戸神宮本殿へ向かうまでの写真を掲載しました。ここでは鵜戸神宮本殿の写真を掲載します。
鵜戸神宮本殿は大きな洞窟(岩窟)の中にかっぽりと入り込んでいます。
社殿は本殿・幣殿・拝殿が一体となった権現造(八棟造)ですが、管理人は何も考えずにウロウロしていたので、いったいどれが本殿で拝殿なのかさっぱりわかりませんでした。なので全部「本殿」と表記することにします。
本殿は朱色の建物で色んな装飾があります。色鮮やかで、見ていて面白かったです。洞窟内にはお乳岩や産湯の跡などがあり、順路に従って洞窟内を歩きますので全体的に暗く湿ったような雰囲気が漂っています。でも、灯りだけを頼りに歩き回るというのは情緒があって管理人は好きです。
暗く湿った洞窟の外には青い海と青い空が広がっていますので、この景色の対比は凄いなぁって単純に思ってしまいましたね。産道を通って外界を初めて目にした時の赤ちゃんの気持ちになれる、かもしれません。この洞窟が豊玉姫の産屋跡だと言われているのも至極納得できます。
画像掲載順番は、本殿正面から右方向へ行き、本殿をぐるりと回ってまた正面に戻る、という左回り(反時計回り)です。でも実際の参拝順路は本殿正面から左方向へ向かう、右回り(時計回り)です。もちろん管理人も洞窟内はきちんと順路を守って右回りで歩きましたが、このページでは写真は左回りで掲載していますのでご了承ください。
計29枚掲載。
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所在地:宮崎県日南市宮浦3232
撮影日:2012年11月02日
掲載写真:29枚(合計66枚)
主祭神:日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
◆鵜戸神宮本殿説明
県指定建造物 鵜戸神宮 本殿
鵜戸神宮本殿は、鵜戸崎の日向灘に面した岩窟内に建てられている。本殿創建の年代は不詳であるが、社伝によると崇神天皇の代に創建し、桓武天皇の勅命により、光喜坊快久が神殿及び仁王護国寺を再興した、と伝えている。中世には、「鵜戸六所大権現」、江戸時代以降は「鵜戸山大権現」として、日向国内外から厚い信仰を得ていた。現在の本殿は、正徳元年(1711)に飫肥藩五代藩主伊藤祐実が改築したものを明治23年(1890)に大修理を行い、さらに昭和42年(1967)に修理したものである。平成9年度(1997)には屋根や内装等の修理が行われた。このように幾度の改修を実施したものの、岩窟内に見事に収めた権現造風の八棟造は、往時のままであり、その文化的価値は高い。
◆鵜戸神宮本殿(正面)
本殿正面
本殿上部
本殿右側
洞窟内から撮影
洞窟内から撮影
この写真は鵜戸神宮本殿を洞窟内側から撮影したものです。
管理人はこの写真が一番好きです!!
◆鵜戸神宮本殿装飾(右側)
◆お乳水
「おちち水」の由来
御祭神ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の御父君)の御母君豊玉姫命は暖かい母性愛から御祭神の為に両乳房を窟内に置いて行かれたと伝えられ、其のお乳岩から出るお乳水は今もなお絶え間なく玉のような石清水を滴らせて、安産・育児・身体健全その他心願成就がかなうことで知られています。
◆産湯の跡
◆お乳岩
お乳岩付近の写真です。写真がブレブレでもはやどこがお乳岩なのかわからないでしょうが、管理人自身もわかりませんので雰囲気だけ感じてください。
◆鵜戸神宮本殿装飾(左側)
鯉と亀の装飾です。
亀の反対側(本殿右側)には鶴の装飾がありました(ページ上の方に掲載)。
右側の鶴は松の木と一緒に描かれていましたが、この亀は竹と一緒に描かれています。本殿には鶴亀・松竹が模されているんですねぇ。
(松竹梅の梅は‥‥描かれていないようですね)
そして本殿正面に戻ります!
反時計回りで画像を紹介しましたが雰囲気を感じていただけたら嬉しいです。
この写真でもわかりますが、洞窟の中にかっぽりと本殿が入り込んでますので、ものすごく不思議な気分になりましたよ。
鵜戸神宮、おススメです!
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【 Jimdo版:鵜戸神宮本殿 】